倶楽部の歴史History
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飯能、袖ヶ浦等の設計で著名な和泉一介氏によるコース設計が行われ、昭和40(1965)年に18ホール、昭和42(1967)年には9ホールを増設し、27ホールとなりました。
津久井湖周辺の活性化のため、津久井町誘致1号として
昭和40(1965)年完成を目指して城山ダムの建設が進み、さらに昭和39(1964)年の東京オリンピックでは相模湖がカヌー競技場となって周辺道路網が整備されるなど、津久井の地にレクリエーション施設を建設する機運が高まっていました。 こうした背景から津久井町にゴルフ場誘致委員会が発足し津久井湖ゴルフ場建設計画が具体化、津久井町誘致第1号として昭和37(1962)年11月14日、津久井湖観光株式会社が設立されました。
(津久井湖ゴルフ場建設目論見書より抜粋)
古えを偲ぶ武蔵野の奥地、甲武相の山嶺を眼前にする津久井町のやや中央に位置する津久井高原は、素朴と幽逐の床しさを秘め、緑あやなす大自然に加えて、西方は甲斐武蔵に連なる道志の山並、紺碧の相模湖が指呼の間に望まれ、更には城山ダムによって出現する津久井湖を眼前脚下にした、それはまさに箱根と呼ばれるに相応しい未来をやくそくされた観光地であります。…
プレーヤーにも地域にも愛されるゴルフ倶楽部としてAs a Beloved Golf Club
そして新たな節目へ
昭和40(1965)年開場以来、多くの会員の尽力、地域の協力の中で確実に発展してきた津久井湖ゴルフ倶楽部は、平成27(2015)年には50周年を迎えました。
開場20周年記念の懇親プレーの様子
【昭和60(1985)年】
地域とのコミュニケーションを図るため、津久井町立中央小学校の「凧揚げ大会」を開催
【昭和61(1986)年】
キャディーサービスの向上のため、電磁誘導カートを導入【昭和61(1986)年】
立体駐車場(アメニティ・パーキング)が竣工
【平成3(1991)年】
津久井湖ゴルフ場長期植栽計画を策定。人為的な景観をいたずらに求めることなく、周辺景観と調和することを目指す
【平成3(1991)年】